2012年



ーー−12/4−ーー 昔の仲間の反応


 
展示会に、昔の知り合い、会社勤めをしていた頃の仲間などが来てくれることがある。懐かしい顔を見るのは嬉しい事だが、ビジネスの面では難しい点もある。
 
 以前の私を知っている人の中には、二十年以上経っても、過去のイメージを引きずっている人がいるようだ。そのような人は、会社員だった私が木工家になったということが、未だにピンと来ない。だから、まっとうな品物を作っているのかどうか、いわば疑いの目で見る。私の作品のレベルは、専門家の間でもそれなりの評価を得ているが、それをまるで素人の道楽であるかのように見る。と言うより、品物をまともに見ようともしない。そして、価格のことばかり口にする。

 そのような人がいたとしても、不思議ではない。私だって同じような考えをしたかも知れない。元の同僚が脱サラをしてレストランを開いたとしても、あまり信用しないかも知れない。隣に別の店があれば、そちらに入ってしまうこともあるだろう。

 見ず知らずの人ならば、先入観無しに品物を見る。品物をどの程度見定めるかは別としても、少なくとも木工品に関心が有るからやって来る。だから、期待外れの反応であっても、その理由はおおむね察しが付き、仕方がないと割り切れる。それに対して昔の知り合いは、こちらが思いを寄せるせいもあるだろうが、失望させられるケースも多い。

 それでも、見る目のある人もいる。最初のアプローチは物珍しさ、ひやかしの類いだったかも知れないが、品物を見て気に入り、ご購入に至る人もいる。

 また、「大竹が作ってる物なら、一つ買ってやろう」という動機のためか、品物を見ずに注文をくれた人もいる。開業当初の仕事は、こういう知人からの注文が多かった。それでずいぶん助かった。そういう方々に、「その後、品物の具合は如何ですか?」と聞くのは、少々の勇気が要るのだが、おしなべて返事は「とても快適に使っています」と来るので安堵する。

 中には、開業前に注文をくれた人もいた。

 1988年10月31日。私は12年間務めた会社を退職した。その日は、社内の挨拶回りなどに追われたのだが、昼休みの直後に私の席に来た男がいた。顔なじみで、会えば話を交す仲だったが、仕事では特に接点が無く、プライベートでも格別に親しかったわけでは無い。その人がこう言った。

 「あなたが木工家具作りをマスターして、製品を作れるようになったら、我が家にも何か作って欲しいと考えています。その予約をさせて下さい。その前金を支払おうと思って、昼休みに社内預金を降ろしてきました」

 そしてお札が入った封筒を差し出した。私は驚いた。いや、こういう状況で驚かない人は居ないだろう。うろたえながら、「ちゃんとした製品が作れるようになったら、必ずお宅の家具を承ります」と答えるのが精一杯だった。前金は丁重にお断りした。

 開業して数年経った時、ダイニングテーブルの注文を頂いた。ご希望通りのサイズで作り、お納めした。その後折に触れ、コメントを頂いた。先日も、「大竹さんが作ってくれたテーブルを囲んで、家族そろって食事をしました。そして、子供たちは成長しました」との言葉を寄せて下さった。




ーーー12/11−−− 新しい砥石


 以前、鉋台の製作を見学に行ったとき、その店の棚にあった砥石に目が止まった。店主は、「それは人造砥石ですが、具合が良いですよ」と言った。同行した木工家の一人が、その意見に同調し、「ところで大竹さんはどんな砥石を使っているのですか」と聞いてきた。私はキングの砥石を使っていると答えた。すると、「プロの木工家がそんな砥石を使ってちゃダメですよ」決めつけられた。

 技術専門校で、与えられたのがキングの砥石だった。中砥と仕上砥の二つである。それ以来私はキングだけ使ってきた。何かの折に、天然砥石を買ったこともあったが、ほとんど使わずに、もっぱら慣れ親しんだキングに頼ってきた。この20年間、それで特に問題は無かった。鉋もノミもちゃんと研げ、切れ味も上々だった。木工家の中には、砥石にこだわって、高価な天然砥石を使っている人もいる。それに対して私は、使えれば何でも良いと思ってきた。逆に、キングでも使い方によっては、これだけ切れるんですよと言いたいくらいだった。弘法筆を選ばずということである。

 しかし、先に述べたエピソードが気になって、時々思い出した。シグマパワーというブランドである。しかし、この辺りの金物屋やホームセンターでは売っていない。手に入れて試してみたいが、どこへ行けば買えるのだろう。最近になって頭に浮かんだのが、ネット販売である。ちょと検索して見たら、扱っている道具屋が、ネット上にいくらでもあった。便利な世の中になったものである。早速、価格が有利な店へ注文を入れた。中砥と仕上砥を一つずつ頼んだ。

 届いた砥石を使ってみた。ちょうど家内の包丁を研ぐ必要があったので、それで試してみた。包丁は刃が薄いので、研ぎの良し悪しが刃先に現れやすい。まず、中砥石は、従来のものと比べて、これといった違いを感じなかった。石が固く、じきに目詰まりをして、滑る感じになった。一方、仕上砥は良い感じだった。粒度が細かいせいもあるだろうが、刃先の研ぎ上がりが、微細な部分まで綺麗だった。第一印象は、仕上砥は二重丸、中砥は三角といったところだった。

 その中砥については、ブログの読者から、「復活砥石」なるもので表面を擦ると、目詰まりが直るとのアドバイスを頂いた。早速ネット通販で入手した。確かに効果があった。軽く擦るだけで目詰まりが解消し、研げ味が戻った。そのようにして使うと、中砥の性能が良いことも実感させられた。研磨効果が大きく、短い時間で研げるのである。

 職人は自分のやり方しか知らない、と言われることがある。何十年やっていても、新しい情報に接しなければ、自分のやり方を疑わず、それで良いと思い込んでいる。その点、渡りの職人は、各地を転々とし、新しい事に接する機会が多いから、ノウハウの蓄積が豊富だと言う。私はまだ二十年ちょっとだが、今回の一件で、すでに自分の殻に閉じこもっていると感じた。視野を広げ、より多くの事を学び、吸収する姿勢を保ち続けなければ、結果的に損をする。これまでの自らの怠慢さに、いささか幻滅を感じた。

 会社に勤めていた頃、先輩社員が社内の標語募集で金賞を取ったことがあった。それをふと思い出した。

「いつもの通りが工夫を殺す」




ーーー12/18−−− おやじバンドフェスティバル


 
「おやじバンドフェスティバル IN NAGANO 」が、長野市のホクト文化ホール(長野県民文化会館)大ホールで開催された。これは、平均年齢40歳以上のバンドのコンテスト。ジャンルおよびプロ、アマは問わない。長野県大会は今年で3回目。今回は52グループがエントリーし、音源審査で25グループまで絞り、予選でさらに10グループが残ったとのこと。

 最高賞のグランプリは、会場に来た聴衆の投票で決まる(異なる二票を投じなければならないルール)。毎月の定例ライブを聴きに行っているフォルクローレのグループが出演するので、応援に行きたいのは山々だったが、他のバンドの中年のおじさんたちの、フォークや、ポップスや、ロックを観るのが気恥しく感じて、迷った。

 ところが、第一回目の大会で司会をした、友人のフリー・アナウンサーのO氏に電話をして聞いてみたら、「なかなか楽しめるイベントですよ。それぞれ個性があって面白いし、予選を経ている人たちなので、下手でシラケるということは無いですよ」とのこと。そのアドバイスに力を得て、カミさんと一緒に出掛けた。

 午後1時に始まり、およそ6時間がかりのイベント。お目当てのバンドだけ聞きに来る人もいるようだが、どうせ行くならなるべく多くのバンドの演奏を聞きたいと思い、開演時刻を目指した。ちょっと遅れて到着したが、駐車場は満杯だった。

 会場に入ると、ロックバンドの演奏の最中だった。物凄い大音量である。全てのバンドがそうだったわけでは無いが、ロックやヘビメタ系のバンドは、とにかく賑やかだった。それでも、このような機会が無ければ聞くことも無いようなジャンルの演奏に接することができたのは、楽しかった。

 おやじバンドと言っても、ほとんどが平均年齢40歳台。中には、若い女性を交えたバンドもあった。事前に予想した、中高年っぽいイメージは無かった。そして、予選を勝ち抜いているだけあって、全体的にレベルが高かった。ほとんどプロという感じのバンドもあった。普段からライブハウスなどで演奏を重ねているのだろうか、場馴れした様子がうかがえるバンドも多かった。

 最後に、出演者全員がステージに上がって、成績発表が行われた。グランプリ1組、準グランプリが2組、そして審査員特別賞が1組発表された。知り合いのフォルクローレ・バンドは、審査員特別賞を受賞した。フォルクローレは、他のバンドと比べて、異質なジャンルだったので、この受賞につながったのかも知れない。エレキ系のバンドが大半を占める中、色々なジャンルの音楽が現れた方が、このフェスティバルの広がりが増すだろう。

 成績発表の後、事務局のメンバーによる演奏に合わせて、ステージ上の全員が一曲歌った。それは和やかな交流の場となっていた。フェスティバルの主旨の一つに、出演者同士の繋がりを深めるという事があったらしい。それが実現した形に見えた。それぞれが楽しそうにしている姿が印象的だった。

 昔は、バンドなどというと不良っぽいイメージがあった。それを、中年になっても続けているのは、ちょっとおかしな人たちのように思っていた。そんな先入観とは裏腹に、なかなか楽しいイベントだった。生身の人間が表現を行なうというのは、多かれ少なかれ興味をそそられるものである。それがある程度以上のレベルであれば、見る側にも響くものがある。コピーでも、物まねでも、馬鹿にしたものでは無い。むしろ馬鹿馬鹿しいくらいの行為の方が、愛らしさを感じさせたくらいであった。

 それにしても、演奏後のステージインタビューで、演奏者たちが口を揃えて「楽しかった」と言ってたのが耳に残った。踊る阿呆に見る阿呆と言う言葉があるが、やはり踊る方の勝ちなのである。




ーーー12/25−−− 皇太子のスキー


 
群馬県西部の山中に鹿沢という場所がある。そこに、私が所属した大学山岳部の山小屋があった。学生時代、冬になるとよくその小屋を訪れた。その当時は、すぐそばにスキー場があった。私が初めてスキーを体験したのは、そのスキー場であった。

 最近になって、山岳部の大先輩から、昔の活動を綴った回顧録の様なものがメールで配信された。その中に面白い記事があった。舞台はその鹿沢である。

 昭和23年の冬、皇太子殿下(今の天皇陛下)がスキーの練習に来た。陛下の生年から計算すると、15歳くらいだったようである。お伴で指導に当たったのは、猪谷六合雄氏。コルチナダンペッツィオの冬季オリンピックで銀メダルを取り、アルペン競技で我が国唯一の五輪メダリストとなった猪谷千春氏の父親である。

 スキー場の下に、紅葉館という旅館があった。スキー場は無くなったが、旅館は今でも有る。皇太子殿下のスキー練習が終わりに近づいた頃、大先輩氏は紅葉館のコタツで猪谷氏とお話しをする機会があった。「殿下の進歩が速いのは感心しますが装備の差ですか?」と聞くと、猪谷氏は「確かに装備は良いが、進歩の速いのは装備の善し悪しではない。殿下には邪念が無く、我々コーチを信頼し、言う通り動く為だ」と言った。「邪念の固まりみたいな君たちは、コーチは上手なので出来て当たり前、下手な我々には出来るはずはない、などと考える。そして、出来なかったらどうしよう?などと邪念が沸き、悪い動作がインプットされてしまう。気が付いても、一端インプットされると直すのが大変だ。今やっているあなた方の練習の大部分は、進歩の為ではなく、悪い点の修正であり、無駄な努力に近い。殿下の練習が予定通りに進んだのは、殿下の素直な邪心の無い性質によるものである。そのお人柄には、全く感心する」との事だったとか。

 私は天皇制に対して、特に賛美する立場では無い。しかしこのエピソードは、誠に正鵠を突いた見解だと感じた。とかくインテリは、自信過剰で、人の意見を真面目に受け入れない。特に学生は、頭でっかちで、屁理屈に終始する。他人の意見に従わない事を、自分の個性だと思い込んだりする。だから、何かと突っかかる。その反面、人として肝心なものが見えない。受験社会では、人として肝心な事よりも、お勉強だけが重視される。そんな環境で育った人間に付随する、必然的な性質と言えようか。

 そんな人間たちが社会に出て、エリートとしてもてはやされ、いい気になって運転席に陣取っている社会は、どのようなものか。







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